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ナムコ創業者中村雅哉さんを偲んで - 「超発想集団ナムコ」より

ナムコの創立者、中村雅哉さんが逝去されました。

80年代のナムコに恋い焦がれた身としては、まさに巨星墜つ、という気持ちです。

氏にお会いしたことはありませんが、次の本を通じて追悼したいと思います。1984年、まさにこれから伸びていこうとするナムコ(この時点では上場すらしていません)をビジネス目線から詳細にレポートした、前野和久さん著「超発想集団ナムコ」です(残念ながら現在絶版)。

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季刊「NG」から

当時のナムコファンの間では有名なナムコのPR誌「NG」に掲載された内容を本書で引用。

  • 身長170cm、体重78kg「でっぷりと肥った実業家タイプ」
    • ここ20年の中村さんの印象は「小柄、やせ形」でしたが、この頃は違っていました。本書に写真がありますが「でっぷりと」まではいかないものの「恰幅がよい」という感じです。
  • 趣味はゴルフ、麻雀、将棋を楽しみ、和田ルーレット教室の優等生。「ギャンブルはカンと読みを働かせて、全体の流れをつかむことのトレーニングにもなり、経営に役立てられるから好きだ」
  • 自動車の運転が好きで、大田区田園調布の自宅から会社まで、毎朝、シルバーのベンツ450SLC」のハンドルを自ら握って出勤する。

ここまでは典型的な「昭和の社長」のプロフィールですね。意外なところは特にない。でもこの後は違うかもしれません。


「コーポレートミュージック・入社案内/ナムコ」から

「夢とは?幸福とは?」という問いに対する中村さんの回答(抜粋)

  • 人それぞれに考え方があるけれど、世の中を何かひとつに決めつけて生きるというのは、不幸なことだと思うなあ
  • ものごとを、スカラー的でなく、ベクトル的に理解すること、事象を運動としてとらえること - 座標軸の変換、とでもいうのかな
  • たとえば、憧憬とは、あこがれの人に自分を近づけようとする思い。その人を自分のレヴェルまで引きおろそうとするのが、嫉妬
  • 「ロマンチストですね」と言われると、嬉しい。「よい社員(かたがた)をおもちですね」と言われると、よけいにうれしいね

柔軟でロマンチストかもしれないけど、理詰めな面もある。そんな「一筋縄ではいかない」人のように見えます。


社員が語る中村社長

では、当時のナムコ社員は社長のことをどう見ていたのでしょう。

本書の著者・前野さんが「本書取材時に「社長の印象を・・・」と水を向けてみた」結果は次の通りです(抜粋。回答者の氏名も記載されていましたがこちらでは割愛しました)

  • 営業部長「夢見る人ではないだろうか。経営に人生の夢をかけて仕事をしている。」
  • 開発一部長「社長はピントはずれの発言をする時もあるが、鋭いカンと、計算ずくめの判断力で、それをカバーしていると思う。」
  • 常務「社長は最後の最後まで努力を惜しまない。途中では絶対に自分に妥協をしない人です。」
  • 「表面的には細かすぎるなあ、という面があるが、凡人じゃないなという感じ。・・・社長のゴルフは手固い。麻雀はこちらもイライラして考え込むくらい慎重。・・・我々は遊びだと思って適当にやるが、社長はそんなことはしない。いつも真剣だ。」

これらのコメントについて、著者・前野和久さんはこう書いています。「ひとりとして批評を拒否した社員はいなかった。自由な社風を反映した結果ではなかろうか。」「興味深かったのは、このように社員の感想がそれぞれ違っていたことである。」ナムコが生み出したバラエティに富んだ作品群の根っこに、この「自由」「多彩な社長の人物像」はしっかりと存在していたと思うんですよね。


デッドコピーへの怒り

中村は昭和41年に、マンガ「オバQ」のキャラクターを使った乗り物を作った。この時、「ナムコ」は・・・作者の藤子不二雄ならびに小学館に、ロイヤリティを払っている。これは、この業界でキャラクターに正規のロイヤリティを払った最初のケースだといわれているくらいなのである。

今となっては常識になっている知的所有権の感覚においても、中村さんは業界の最先端だったようです。

中村は、「コピーされるのは、自分の可愛い娘が強姦されるのを、目の前で見るようなものである」と述べ、顔をまっ赤にして「相手の男を、たたき殺してやりたい」と語ったことがある。

このような感覚があったからこそ、ナムコの法務部門は80年代からシビアだったのでしょうね。元集英社の鳥嶋さんも当時のナムコの厳しさを次のインタビューで語っています。
【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話


「情緒ロボット」

中村が今、第五次産業の"商品"として熱心に開発に取り組んでいるのが、情緒ロボットだ。情緒ロボットというのは、人の心をなごませるようなロボットを総称してそう呼ぶと中村はいう。

他にも中村さんの先見性を表しているのが、人間と直接接しパートナーとなってくれるロボットへの思いです。

彼は、すでにこの情緒ロボットを家庭で使っている。・・・食卓の上にはいつも「ツブちゃん」という、ビニール製の10cm余りのかわいいお人形が「いる」という。
食事の前には、中村は、このツブちゃんに、自分と同じ「おかず」「おつゆ」「ご飯」を、ままごと用の小さな食器に入れてサービスをしている。夫人と二人きりで、毎日顔をつき合わせていると、お互いに文句が多くなるが、直接いうと気に障るから、ツブちゃんに向かっていう。中村が「しようがないね、うちのママはそそっかしくて忘れっぽくて」とぐちると、これを受けて夫人が「そんなこといったって今日はとても忙しくてね、ツブちゃん」とやり返す。

還暦前後の夫婦とは思えないほほえましい会話ですし、これはロボットというよりは「ぬいぐるみ」の範疇だとは思うんですが、たしかに、こんな「家族」がいてくれている家庭もいいかもしれません。

とはいえ、本書が出版されてまもないころ、ナムコから「龍馬くん」という、励まし系のトーク(「心はいつも太平洋ぜよ」とか)を聞かせてくれるロボットというか人形が発売された時は、ああたしかにこれは中村社長が力を入れた結果なんだろうな、でもよくわからない、なんでこういうものを売るんだろう・・・なんてちょっと訝しげに感じたものです。

しかしその後のAIBOやペッパー君の存在感を見るにつけ、中村さんの先見の明というか、ゲームや娯楽という縛りなんて最初からないよって感じのマインドが爽快だし、それが単なる独りよがりな妄想じゃなかったというところが凄さなんだと思います。

参考:ナムコ社長「受付はロボットにしろ」 30年前の無茶ぶりを伝説的クリエイター陣が語る:当時のレアな資料も大放出(2/3 ページ) - ITmedia NEWS


芸術を愛でる人

経営者としての中村さんについて引用してきましたが、それ以外の点で個人的に好きなエピソードがこれです。戦後間もない頃、中村さんが中村製作所(のちのナムコ)を設立する前。

そのころ彼は(日本橋の)高島屋のなかで文化活動を盛んに行い、とくにレコード・コンサートをよく開いた。蓄音機やレコードを店内の売り場から借りてきて、ポスターも解説書も、すべて中村が自分で作った。「チゴイネルワイゼン」をハイフェッツとジンバリスト、エルマンの三人のバイオリニスによる演奏で聞き比べるという、高度な鑑賞会も開いていたというから驚く。

この文化活動を通じて、中村は当時、高島屋に勤めていた光子と知り合い、結婚することになる。



中村雅哉さん、ありがとうございました。あなたの会社からは数え切れないわくわくをいただきました。よいかたがたをお持ちでしたね。



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