庭を歩いてメモをとる

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アメリカが日本とドイツに占領された世界の中で、アメリカが勝利したという小説を読むとき−フィリップ・K・ディック「高い城の男」(1962年発表)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)書籍版 高い城の男kindle版


あのP・K・ディックの作で、こんなに日本とかかわりのあるストーリーなのに、このブログを拝読するまで、この小説のことは知りませんでした。

ドイツ第三帝国と大日本帝国に占領されたアメリカを描く海外テレビドラマ『高い城の男』

で、読んでみました。



当初は、「歴史のもしも」と「日本」がどんなふうに描かれているのかに関心があったし、この小説のおもしろいところはそこかな、と推測していました。

たしかにその部分も興味深かった。たとえば、アメリカ西海岸の日本人が南北戦争時代の銃などの「アメリカの骨董品」を貴重なものと感じて、アメリカ人がそれを一生懸命用意したりするところは、戦勝国が日本ならこうなっていたのかなあと思わされる設定です。

また、次の描写などは、当時のディックが実際に日本文化に対して感じていたことなのかなと思ったりもしました。

(日本人の家を訪れたアメリカ人の心の中の言葉)なんと禁欲的なことか。家具はごく少ない。電気スタンド、テーブル、書棚、壁にかかった版画。驚嘆すべき日本人の「侘び」の感覚だ。それは英語ではとても説明できない。絢爛華麗を超越した美を、単純な物体の中に見いだす能力。なにか配置とも関係のあるもの。

全般的に、日本のことを多少はオリエンタリズムの視点から描写しているものの、蔑視するでもなく無理に持ち上げるでもなく(それでも、ナチスに比べると日本は寛容な集団として描かれていて、ひいき目があるなと感じはしましたが)、バランスをとって描いているという感触はありました。



でも私がこの小説でもっとも惹かれたのは、その構成です。アメリカなど連合国側が日本とドイツに戦争で勝つという「本当の歴史」が、作中では「小説(テレビドラマでは映画)の中の話」になっています。そしてその「小説」の作者に、登場人物の一人が会いに行くというのが終盤のエピソードになっています。

でもその「小説の中の小説」で描かれている世界は、私たちのこの世界の史実とは微妙に異なるんですよね。連合国勝利の後イギリスがヨーロッパを支配していたりするし。そういう私たちにとっての微妙なずれを抱えたまま「小説の中の小説の作者」に近づいていく・・・という読書体験が一番の収穫でした。


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