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なぜ平均律がポピュラーになるのには時間がかかったのか


1958年生まれのイギリスの作曲家で「ミスター・ビーン」の音楽を書いた著者による音楽史。しかし、その内容は音楽の歴史をただ単に年代順に記したものではありません。タイトルにあるように、音楽の歴史に特に影響のあった5つの発明に焦点を当てたものです。

その5つとは- 記譜法(楽譜)、オペラ、平均律、音の強弱がつけられる鍵盤楽器(ピアノ)、録音技術。ネタバレ?いやいや、本書はこの程度で面白さが損なわれる本ではありません。5つのうちどの記述も非常に興味深かったのですが、特に印象深かったのは以下です。


楽譜

グイード・ダレッツォは音楽を書き留める方法を世に示した。その方法は多くの人が納得するものであり、かつ実用的だった。彼はまた(略)階名唱法を考え出した。そして、現代の「音階」(音の階段)の原型となるものを考案し、旋法を理解しやすく、使いやすいものにした。そのうえ、歌唱指導に非常に有効なハンドサインまで紹介した。

現代の楽譜の源流を考えついた人って、こうして特定できるのですね。まずそれに驚きました。

楽譜というシステムが後世に及ぼした影響はもちろんものすごいものがあるのですが、改めて「そうだよな」と思った著者の指摘は次の通りです。

  • 個人の記憶力に頼る必要がなくなり、より複雑な曲を数多く作って後世に残すことが可能になった(例:対位法)
  • 作曲の専門家の存在が大きくなっていった。即興演奏によってはとうてい生まれ得ないたぐいの音楽をつくり、(略)記憶力をはるかに超える長大な曲を組み立てるようになった。

たしかに「作曲家」という仕事が成り立つためには、作品をかたちに残し流通させる必要がありますよね。


オペラ

オペラが音楽史においてそんなに重要な存在なのか?それがこの章を読み始めた時の感覚でした。読み終わったあともそれは変わりませんでしたが、モンテヴェルディがどれだけ革新的な存在だったのかを文字の上で学ぶことはできました。でも肝心の音楽をまだ聴いていないので、なんとも言えませんが。


平均律

個人的には、この本でもっとも興味深く、学びが大きかったのがこの章でした。

美しく響かせるとずれが出る

  • ピュタゴラスの発見:自然界にある音のなかには心地よく響く組み合わせがあり、それら複数の音のあいだには数学的な関係が成立する。
  • 例えば、弦を張ってはじくと音が出るが、弦の長さをもとの半分にすると、もとの音とそっくりだがより高い音が出る(もとの音がドなら、1オクターブ上の同じドがこれにあたる)。
  • 長さを3分の2にすると今度は前の音とは違う新しい音だが、美しく響き合う音が出る。これを属音(ドミナント)という ※よしてる注:ドとソの関係
  • しかし、この「3分の2」の法則を使ってドレミファソラシドをつくる(純正律)と、「高い方のド」が「もとのドのちょうど1オクターブ上の音(弦が半分のときの音)」と微妙にずれる
  • このずれのことを「ピュタゴラス・コンマ」という
  • この「コンマ」に最初に気づいたのはピュタゴラスではなく紀元前4世紀の中国人だった。中国の人たちは、音階を1オクターブで5つの音だけを使うことでこの問題を回避した(ここも、よしてるにはよくわかりませんでした)。


「ビートルズが登場するまでは、ヨーロッパに最も大きな影響を与えた英国人作曲家」の影響

  • ヨーロッパでは、1オクターブで8つの音(ピアノで言う白鍵のみ)を使用していたが、数学的にきれいな比にならない音の組み合わせには教会が難色を示していた。
  • しかし、15世紀初頭になると、作曲家たちがそれまで使ってはいけないといわれていた音程(三度や六度・・・数学的にはきれいな比にならないが、それなりに美しく響いて聞こえる)を試し始めた。
  • その代表格がイギリス人作曲家ジョン・ダンスタブル。彼は特に声楽において三度の音程をよく使用していた。
  • 1416年、イギリスがフランスに勝利し、フランスが北フランスとブルゴーニュ地方をイギリスに割譲。イギリス王ヘンリー5世の弟ベッドフォード候がフランス摂政に任命された。そのベッドフォード候が高く評価していたのがダンスタブルだった。
  • 「当時としては奇抜で前衛的」なダンスタブルの音楽は、フランス摂政が高く評価していたことがきっかけでヨーロッパ大陸でも広く知られるようになり、各地で模倣されるようになった。

本書では、ダンスタブルを「ビートルズが登場するまでは、ヨーロッパに最も大きな影響を与えた英国人作曲家であったと言って差し支えないだろう」と紹介しています。たしかに、三度の和音を一般に広めたのがこの人だったのなら、それはものすごい足跡なのだと思います。こんな作曲家がいたのですね。全然知りませんでした。

(参考)イギリスでは、対フランス戦勝利の感謝の祈りを捧げるためにカンタベリー大聖堂で特別礼拝が行われたが、そのためにつくられたダンスタブルのモテット「来たれ、聖霊よ」

Veni Sancte Spiritus - Veni Creator, JD 32

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  • Tonus Peregrinus
  • クラシック
  • ¥150
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そしてこの曲、よしてるの感覚では、今聴いても古めかしさを感じません。ダンスタブルの影響が今も続いているってことなのかな。

「ずれ」の解決方法

このように、新しい試みは続けられたものの、純正律におけるピュタゴラス・コンマ(ずれ)の問題は解決していませんでした。この問題が解決しないと、曲を移調する(ハ長調の曲をヘ長調で演奏する等)ことができません。さらに、ハ調用につくられたトランペットとヘ調のリコーダーを同時に演奏することもできません。なぜなら、ピュタゴラス・コンマがある限り、ハ調で6番目の音とヘ調の3番目の音は音の名前こそ同じAですが、実際の音はほんの少しずつ高さが異なるからです。

特にピアノのような鍵盤楽器の場合は、いろんな調で弾くことが多いため純正律に向いていません。純正律のままいろんな調を弾けるピアノもありますが、鍵盤がこんなふうにとんでもないことになります(浜松楽器博物館でよしてるが撮影)。
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これに対する解決法が平均律です。オクターブを12に分割し等間隔に音を配列する。これだと、どの音も「少しだけ調子はずれ」なので一番きれいな響きは実現できませんが、ピュタゴラス・コンマがなくなるためどの調であろうと音の名前が同じなら音の高さもまったく同じになります。「妥協の産物」ですが便利です。

以下の動画では、平均律だと「一番きれいな響きが実現できない」のを実際に聴くことができます(というか、普段私たちは平均律で演奏された音楽を聴いていますが、そこでのド+ソの和音は「ベストな響き」ではなかったのですね)。
www.youtube.com

(参考)よしてるのまとめではわかりにくい方のために、平均律と純正律についての説明が比較的わかりやすいサイトをご紹介します。
チューナー / メトロノーム | KORG (Japan)


なぜ平均律がポピュラーになるのには時間がかかったのか、あるいは平均律はなぜ世界中に広がったのか

  • 平均律の考え方はシンプルで強力だが、実際に音を均等に調律するのは高度な技術を要する
  • 1580年から1600年にかけて、フランドル出身の数学者・技術者シモン・ステヴィンは鍵盤楽器を平均律に調律するための正確な数値を算出することに取り組んだ
  • しかし当時は、この数値に合わせて楽器を調律する技術はなかった
  • 中国でも1584年、朱載堉が12平均律の音階について「12回掛け合わせると2になる数」を用いて正確な説明を行っているが、中国では誰も彼の提案を採用しなかった
  • ヨーロッパでは18世紀の終わり頃、平均律はかなり優勢になる
    • 最終的には、1840年代に当時のピアノメーカーのトップ、ロンドンのジョン・ブロードウッド社が平均律を採用したことが決定打となった
    • これが実現したのは、1800年に完成されたヘンリー・モーズリー(音楽とは無関係な分野の発明家)の精密な金属旋盤により、ピアノを正確に平均律でチューニングすることが可能になったことが大きい
  • さらに、19世紀後半にウィーンで発明されたアコーディオンは、その携帯性により他の鍵盤楽器が普及しなかった地域にも広く行き渡った
    • しかもアコーディオンは工場で一度音の高さを設定するとその後調律し直す必要がなく音も大きい
    • このため、各地に昔から伝わるさまざまな音律はアコーディオンが奏でる平均律に駆逐されていった

個人的には、ここがもっとも興味深かったです。以前、平均律が実はわりと新しい(この2~300年くらい)仕組みだということを知ったとき、なんでオクターブを均等割するという単純な仕組みが長い間一般化しなかったのだろう、それだけ昔の人は響きにこだわっていたってことなのかな?と思っていたのですが、そもそもそれを実現する技術がなかったということも大きかったのですね(今より響きにこだわっていたこともあるのでしょうが)。そして、アコーディオンが及ぼした影響も説明を読むとなるほどと思いますが、それまではこの楽器にそんな力があったとは思いませんでした。ピアノがその役を果たしたのだと思っていたのですが、たしかにピアノは山奥には持って行けません。


あと、少し話はずれますが、この「平均律の理論確立」に近い時期、他にも中国とヨーロッパでほぼ同じ時期に同じような「後世に大きな影響を与えた」ことが行われています。大航海(コロンブスと鄭和)がそれです。どちらもその後中国では広がらなくてヨーロッパでは広がっています。その理由で、今まで読んだ中でもっとも納得したのは、ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」に述べられていた「地理的要因」です:中国は大きな山などがなく海岸線も単調なので国内統一がしやすく紀元前から統一国家が存在したが、一人の皇帝の意向ですべてが決まる国にもなった。一方ヨーロッパは地理的に統一国家の形成が困難だが、多くの国家が乱立したことで逆にチャンスも生まれた。例えば、コロンブスは航海に出るまで多くのパトロンに断られ続けたが、頼む先が複数あった(皇帝一人ではなかった)ためなんとか資金を援助してくれる人物が見つかり航海が実現した。


音の強弱がつけられる鍵盤楽器

要するにピアノのことなのですが、この章で「ピアノに似てるけど違う楽器」の何が違うのかも学べたので、それをまとめてみます。

楽器名 仕組み 音量 音の持続性
クラヴィコード ハンマーが弦を叩く とても小さい 止められない
チェンバロ 弦を爪ではじく 常に一定 止められる
ピアノ ハンマーが弦を叩く 強弱がつけられる 止められる

さて、ピアノを発明したのはバルトローメオ・クリストフォリ。1700年のメディチ家の楽器目録に「ピアノとフォルテを引き分けることが可能なチェンバロ」というものがあり、これが世界最初のピアノだと言われています。ピアノについても、発明者がこんなにはっきり特定できるとは知りませんでした。

ピアノの仕組みについては、以下のサイトが参考になるかと思います。

ピアノの成り立ち:ピアノ誕生ストーリー - 楽器解体全書PLUS - ヤマハ株式会社

楽器の世界コレクション DVDシリーズ - World of Musical Instruments COLLECTION


録音

この章では、レコード会社「RCAビクター」がもともとは「グラモフォン」だったことなどいろいろと「そうだったのか」と思わされる内容が書かれていましたが、一番驚いたのはこちら。

第二次大戦(略)日本軍のフィリピン封鎖により、マレーシアのカイガラムシの分泌物を原料とするシェラック(SPレコードの材料)が急速に不足したのだ。(略)アメリカ軍もリサイクルされたシェラックを爆撃機の計器盤用コーディング材として利用していたので(シェラックは結露しにくく、都合がよかった)、供給はよけい逼迫した。代替品を見つける努力が進むなか、米国のレコード会社コロムビアは、ビニールと呼ばれる新しいプラスチック素材を開発した。ビニール・レコードは1948年に初めて商業ベースで発売された。

LPレコードの誕生の遠因に日本軍があったとは。


その他メモ

ワーグナーは「パルジファル」を指揮するユダヤ人指揮者に対し、自分の書いた貴重な総譜に触れたいのであれば、その前にユダヤ教の信仰を捨て、キリスト教の洗礼を受けるように強要した(ちなみに、ユダヤ人のマエストロ、ヘルマン・レヴィは、そんなことは一切かまわず平然と初演を指揮した。)。

ワーグナーがユダヤ人嫌いで後年ヒトラーがその音楽を愛好したことなどは知っていましたが、ここまでだったのですね。



以上、本書をつまみ食いし自分なりにいくつかの情報を付加してみましたが、他にも読みどころはたくさんの本です。著者自身の作曲経験や現代の音楽世界についての思いなどのエッセイなども読ませますし、長調と短調の違いを説明するのに、同じジョージ・マイケルがつくった歌でも「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」と「ケアレス・ウィスパー」は違った雰囲気に聞こえる、などとロックやポップスを引き合いに出すこともしばしばでそんなところにもにやりとさせられます。松村哲哉さんの翻訳も読みやすく気配りが行き届いています(参考:
ホンヤクこぼれ話 『音楽史を変えた五つの発明』松村哲哉 訳、ハワード・グッドール 著)。

音楽が好きだけど音楽史についてはよく知らない、でも興味あり、という方はきっと楽しめると思います。元はイギリスの"Big Bangs"というテレビ番組だったらしいのですが観てみたいなあ(動画サイトにアップされているようです)。


関連メモ


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