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冲方丁「天地明察」

天地明察 上 (角川文庫)天地明察 下 (角川文庫)

[物語]
江戸時代初期、囲碁棋士*1・算術家・天文暦学者であった渋川春海(安井算哲)が見出され日本独自の暦を作り上げる生涯を描く。


[感想]
どんな話かというと、上に書いたとおりなのです。これだけだと面白くもなんともないのですが、これが冲方さんの手にかかるとページを繰る手が止まらなくなるのだから、たいしたものだと思います。

どう面白いのか。まず、暦というものがどういうもので、どれだけ重要で社会に影響を与えるものなのか。ここがしっかりと描かれているところ。もちろん、当時暦を作るには全国を行脚し未熟な計器で測量しなければいけなかったことくらいは想像がついていたのですが、それは暦の持つ重みの一部にすぎませんでした。本作では、暦が統治の根本であることがわかりやすく説明されているので、春海が仕事にかける情熱と緊張感にどっぷり感情移入することができました。

登場人物が魅力的でキャラが立っていることもこの作品を大いに充実させています。主人公渋川春海の実直で謙虚、大事なところで何度も失敗しつつも能力を磨き前に進んでいく姿、関孝和の天才ぶり(改めて調べてみるとこの人ほんとに飛び抜けた存在ですね)、保科正之の名君ぶり、序盤から終盤まで春海にとって重要な存在となる女性えんの存在感など、それぞれが春海の人生に影響を与え、またそれに春海が応える様が物語を活気あるものにしています。そういえばこの話、重要キャラに悪人がいなかったような気がします。読んでいて気持ちよかったのはそのせいもあるかな。まあ一方で、どの登場人物もちょっと浮世離れしている感もなくはないですが、小説なんだからそれでいいと思います。

見慣れない漢字や言葉が多いのになぜか読みやすい文章も味わい深いものでした。だから時代の雰囲気をしっかり感じながらもすいすい読める。

あまりに「よくできた」話なので、どこまでが史実でどこからが創作なのかよくわかりませんが、少なくともざっと調べた範囲では大きな出来事はすべて実際にあったことのようです。こんな「素材」を見つけてきてしかも一級の娯楽歴史小説に料理した著者の手腕には本当に感心しました。

渋川春海の一生は、一面では私のような凡人を励ましてくれるような面もありましたが(大事なところで失敗し苦悩するが、あきらめずに前に進むところなど)、一方で本作の冒頭にあるように、周囲の様々な人物が彼を強力に援助し励まし、結果彼が心から愛し生涯をかける仕事に邁進できるようになったという幸福、これは誰もが手にできるようなものではありません。しかし、本作で描かれた春海が、周囲の人々をそうさせるほどの人物だったということ、まさにそういうところがもっとも心に残ったところであり、また学ぶところが大いにある点だと感じています。天は自ら助くる者を助くという有名な言葉を思い出しました。

*1:将軍の前で対局を披露したり高位の武士と対局したりするプロの棋士


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