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庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

連合赤軍はなぜ「同志」を12人もリンチ殺害したのか

本・まんが 社会と課題

前のメモで、連合赤軍とはどういう集団だったのかを見てみました。そもそも一緒になりそうにない二つの集団が合同したものということはわかりましたが、ではなぜ両者が一緒になったのか、また「同志」へのリンチはどのようにして進行していったのか。そしてそれはなぜ起こったのか。それらをここでメモしたいと思います。

連合赤軍誕生

革命左派は、逮捕された川島を奪還するため民間の鉄砲店を強盗し銃を奪います。彼らが信奉する毛沢東が「人民のものは針一本、糸一筋とってはならない」と言っているのにです(毛沢東が実際にどんな人物だったかは別として。)。これで革命左派は世間に知られるようになり、赤軍派も影響を受けて「M(マフィア)作戦」を開始します。要は金融機関強盗です。彼らはこのようにして武器やお金を集めました。

このため、警察はこういった過激派摘発のためにアパートや旅館25万か所を4万5000人の警官でしらみつぶしに捜索するようになり、結果彼らからは多くの逮捕者が出ました。彼らは知人宅などを転々としますが、革命左派の永田らは冬の札幌などで息を殺し続ける生活に疲弊していき、都市部から出て山にこもるようになります(山岳ベース)。これには、永田が批判者を都市にばらけさせずに集めておきたがっていたからではないかという元「同志」の回想もあります。一方で赤軍派も同様に組織が壊滅状態に陥ります。

そんな中、革命左派前組織の創立者川島が獄中から赤軍派との合同を示唆、71年夏に連合赤軍が誕生します。要はつぶれかけの集団が仕方なく一緒になったというわけです。しかし、この相容れないはずの両者が一緒になることで、悲劇は進行していきます。

(参考)


処刑開始

革命左派の山岳ベースからは脱走者が出ました。これに対し赤軍派の森は「処刑すべきではないか」と発言。すると革命左派は脱走者2名を殺害します(印旛沼事件)。それを聞いた森は「頭がおかしくなったんじゃないか」と言ったそうです。もともと「大言壮語だが実行力のない」赤軍派と「生真面目」な革命左派の相違が生んだ悲劇です。また森は、この事件から革命左派への政治的な負い目を感じ、革命左派より優位に立つには赤軍派による殲滅戦しかない、と考えるようになります。両者は悪影響を煽りあうようになっていくのです。

この印旛沼事件をきっかけに、連合赤軍事件に一貫する「自分が逮捕される危険を逃れるため逃亡者を処刑し、自分の地位を追い落とす危険のある者を共犯者にして犯行を封じる」原理が横行していきます。もはや、曲がりなりにも武装闘争で革命を起こし世の中をよくするという建前すらも実質的にはなくなり、エネルギーは上層部(森と永田)の保身のために燃焼されるようになっていくのです。具体的には、この山岳ベースでの、「同志」12名のリンチ殺害です(ちなみに私はこのリンチもあさま山荘で行われたと思っていました・・・)。


山岳ベースでの「同志」リンチ殺害

まず最初に、この山岳ベースがどんな環境にあったのかを整理します。ベースは警察に見つからないために次々変わっていきますが、例えばリンチが多発した榛名ベースは、居住空間は横4メートルに縦2.5メートル。ここに革命左派約20名と赤軍派約10名が住んでいました。そして夜は氷点下15度、トイレは満足に機能しない、風呂はまれなので体臭がひどい(買い出しに行った際体臭が原因で通報され逮捕されたメンバーがいるくらいです)。これに重労働(薪割り等)の疲労、逮捕の恐怖などが加われば、本書の著者小熊さん曰く「判断能力も正常でなくなるのは無理もない。事件の描写はこれを念頭に読む必要がある。」

71年12月下旬〜72年2月、ここで何が起こったのか。森と永田が「同志」に言いがかりをつけてリンチしていくのです。目的は「共産主義化(意味は誰にもわからなかったとの証言あり)」。詳細に書いても気分が悪くなるだけなので端的にメモします(小熊さんも同じ理由でこの箇所を簡潔に書いたとのことですが、その分実態が明確にあぶりだされている感がありました)。

リンチされ始めたきっかけ

  • 夕食会で「私の中にブルジョア思想が入ってくること闘わねばならない」と告白→森「入ってくるというのはこの闘いを放棄したもの」→リンチ
  • 「交番襲撃のさい日和った(学生運動中、権力に対し怖じ気づいた)」と告白→「日和見主義克服」→リンチ
  • 「ルンペン的」→リンチ
  • 「すっきりした、という発言がまじめではない」→リンチ
  • 「女学生的」→リンチ
  • 「主婦的」→リンチ
  • リンチ殺害の輪の外でうろうろしていた→リンチ
  • 運転の不手際を叱咤され「革命のお手伝いをしに来ただけだ」と反論→リンチ
  • カンパ集めに失敗→リンチ

リンチの内容

  • 殴打(主に全員で)
  • 自分自身による殴打強要
  • 緊縛し氷点下の屋外に放置→飢えと寒さで死亡
  • アイスピックで心臓を刺したが死ななかったので絞殺

被害者のプロフィール(一部)

  • 赤軍派の人数が足りないので数合わせに連れてこられたもともと忠誠心のない人物
  • メンバーでなくシンパで、妻子を連れてピクニック気分で来ていた人物(妻子は無事)
  • 妊娠8ヶ月の女性(金子みちよ。殴打された際も「何をするのよ!」と叫ぶ、リンチ中抗議したのは彼女ただ一人、リンチに10日間も耐えたのも彼女だけ。本事件を裁いた石丸裁判長が金子の友人に送った手紙には「36年間の裁判官生活で・・・金子さんはもっとも感慨深い心にしみこむ『被害者』でした」と記述)

有名な話ですが、これらのリンチは「総括」と呼ばれています。「共産主義化」を達成するための反省・自己批判の一環らしいのですが、実態は完全にリンチですよね。そして、このリンチによる死亡については、森が「敗北死」という名前をつけました。死亡した人間は、総括しきれずに敗北して勝手に死んだ、という理屈です。行為の実態は単なるリンチでも、このように特別な名称や理屈付けを行うことで、集団の感覚麻痺が一層進んでしまったものと思われます。実際、永田は取り調べで「なぜ殺したのか」と訊かれて初めて自分は人を殺していたのだと自覚できた、と語っています。

なお、革命左派メンバー天野勇司によると、後日革命左派創立者の川島豪にこのリンチ事件について問うと「ゲリラノ鉄則ドオリニシタノデハ」との電報が返ってきただけで、まったく反省していなかったようです。そしてこの事件の全責任を永田に転嫁していたといいます。この人物、森や永田ほど言及されませんが、個人的には、この悲劇に及ぼしている彼の影響はかなり大きいと見ています。生真面目な労働運動団体だった革命左派が暴力を使い始めたのも、赤軍派との合同を促したのも彼ですからね。ちなみに1990年に死去しています。

それと、私はこのリンチ事件を初めて耳にしたときは「どうせ狂信的政治思想の持ち主が同じように狂信的な人間を殺したんだろう。殺された人は気の毒だけど自業自得な面もあるんじゃないか」などという感想を持ちましたが、今回この本を読んで自業自得と切り捨てるのは相当不適切で思考停止だと強く感じるようになりました。そして反省。


リンチ殺害が行われた理由

なぜこんなことが起こったのか。私もそれが大変気になっていました。

著者小熊さんによれば、関連書籍を渉猟し整理した結果、これまで論じられた理由は主に4つに分類されるそうです。「外部の敵と戦えなかったので内に向かった」、「異なる両派がどう新路線を作ろうとするかを議論しようとすると森は個々人の共産主義化(リンチ理由)に問題をそらした」(永田の回想による)、「高校時代に剣道部主将だった森の体育会系気質」、「永田が気に入らない人間を総括し森がそれを合理化」。

しかし、小熊さんは、以上の理由は潤滑油程度のものでしかなく、本質は「指導部が逃亡と反抗の恐れを抱いたのが『総括』の原動力だった」と指摘します。理由は次の通りです。

  • リンチは反抗か逃亡の怖れがあった人物に集中
  • メンバー全員に被総括者を殴打させたのも「全員共犯にし脱走させなくする」ため(傍証多数)
  • 買い出しの場合、人選が慎重に行われた。まず関係の弱い者同士で行かせる(相談して脱走しないため)。また、ベース内に恋人や身内がいれば必ずどちらかをベースに残す(人質)。上層部がいかに逃亡を恐れていたかの例。
  • とはいえ、上層部はこれを計算していたわけではなく、当初は勢いでやっていたがそうした計算が半ば無意識的に入って固定化したというのが実態ではないか

私はこれを読んで、え?それって新しい説なの?むしろ、それ以外考えにくいんじゃないの?と思いました。それくらい、様々な資料で描かれている状況と「指導部の保身」のつながりが明確だったからです。なぜこんなシンプルな理由が今まで出てこなかったのでしょうか。小熊さん曰く、実は連合赤軍関係者の回想記などが出揃ったのはここ数年で(永田の回想記はずっと前から出ていたが、やはり記憶の改変があるし、あくまで永田視点の記述であるため完全に依拠できるものではない)、今までは分析しようにも材料が少なかったこと、そして、世の中、特に日本の社会運動に大きな影響を与えたこの事件の理由が「保身」のような矮小なものであってほしくないという思いも影響していたのでは(この点については次のメモで改めて整理します)、とのことです。なるほど。

今回、リンチの経緯を知って真っ先に連想したのはポル・ポトのやり方です。彼らも、規模は異なるものの、1.言いがかりをつけて人をどんどん殺しました(眼鏡をかけている→知識人→処刑、など)。そして同時に2.攻撃されることを極度に恐れ、疑心暗鬼になっていました(政権をとるとすぐ首都にいた200万人を全員地方に移住させましたが、その理由のひとつはそうしないと暴動が起こって政権を覆されるから、など)。共通点1.と2.からは小熊さんのいう「保身」というキーワードが浮かび上がってきます。この例からも、私にとっては「リンチ理由は保身」説が納得しやすくなっています。

もう一つ感じるのは上記に加えてのもうひとつの共通点、3.リンチは共産主義の名の下行われたがその意味の説明はなかった、という点です。ポル・ポトも革命革命と連呼していましたがその意味を人民に説明することはなかったらしいです。ここから思うのは、組織の長は、組織の存在意義や指導者自身の基本主張に自信がない場合、暴力・恐怖など別の手段で組織のコントロールをしようとする。それが極端になったのが連合赤軍でありポル・ポトなのではないか、ということです。まあこれも一種の保身ですね。

(参考)

あと忘れてはならないのは、先にも書きましたが、そういった「精神」面での理由に加え、「肉体」面、つまり冒頭に記した劣悪な環境があってこの事件に拍車がかかった、ということ。先に山岳生活を始めていた永田が、まだ都市にいた森を訪ねたとき森が肉を食べているのを見てショックを受けている記述などがあったのですが、やはりこういう基本的な生活環境が劣悪だとそれは精神や行動に少なからず影響を及ぼすのだと思います。

次のメモでは、「彼らはその後どうなったか」「この事件はその後の日本社会にどんな影響を与えたか」「この事件をどう受け止めるのが適切か」について書いてみます。

次のメモ:


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