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アメリカ人による「アメリカは日本を断罪する資格があるのか?」という問い - ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」

アメリカの鏡・日本 新版

「日本がなぜ戦争を始めたのか」についていくつかの本を読んでいたところ、職場の上司が「その時代に関心があるならこの本を読んでみてはどうか」と薦めてくれたのがこの本です。

本書は、1948年、アメリカのアジア研究者でGHQの一員として日本の労働法の策定などに加わった著者によるアメリカ告発の書です。彼女は、アメリカは太平洋戦争に関して日本を断罪しているが、果たしてその資格がアメリカにあるのか?と問うているのです。マッカーサーが自らこの本を読んだ後、「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない」と日本での翻訳出版を禁じたいわくつきの本でもあります。それが1995年、ようやく日本語で出版されたというわけです。


これを読んでまず驚いたのは、アメリカが国内で日本について行っていたプロパガンダについてです。例えば、国務省極東局のスタンレー・ホーンベックによる極東史の公式見解は、日本人を「世界でもっとも悪名高い、残虐な侵略者」で、「遠く1587年(秀吉の朝鮮出兵)の昔から」世界支配を目指していた、としています。その他、ニューヨークタイムズの記者等ジャーナリストも同様の見解を広めています。もちろん、日本も「鬼畜米英」と言っていたわけで、アメリカが特別というわけではないのですが、まずここで日本もアメリカも戦争中はさして変わらないプロパガンダを行っていた、ということが認識できました。

これに対し、著者は、日本は近代戦のための重要物資をすべて輸入しなければならないのだから経済封鎖には非常に脆い、だからパールハーバー以前は、「日本が大国にとって軍事的脅威になるなどということを誰も本気で考えたことがない」と冷静な指摘を行っています。


このように、本書は、アメリカが日本への大義としていることは本当に妥当性のあるものなのか?という視点を貫いています。特に示唆的な部分を以下に引用します。

今日私たちは「法と秩序」・・・「個々の人間に対する人道的配慮」といった、誰も否定できない原則に立って日本を非難している。しかし、最初の教育(日本が近代化を進めるにあたり西洋から学んだこと)で日本は、そうした原則は文字に書かれた教典ではなく、力の強い国が特権を拡大するための国際システムのテクニックであることを、欧米列強の行動から学んだのだ。

1934年、日本外務省情報局総裁、天羽英二が新外交政策を発表した。これは日本のモンロー・ドクトリン(1823年、アメリカのモンロー大統領がラテンアメリカ諸国に対するヨーロッパの干渉を拒否すると宣言したこと)と呼ばれ、やがて「大東亜共栄圏」に発展していく・・・米国政府は、日本がこの政策を「モンロー・ドクトリン」と呼び、アメリカの対中南米政策になぞらえようとしていることが許せなかった。しかし、日本から見れば類似性は明白なのである。

本書の中心テーマは、書名にもあるように、「アメリカやヨーロッパに日本を糾弾できる資格があるのか?日本は彼らの真似をしただけではないか?」という問いかけにあります。確かに日本は、20世紀前半にアジア諸国に災厄をもたらしたケースもあるのかもしれませんが、そもそもは「先輩」を追いかけて行ったこと。糾弾される行為ではあるが、それをアメリカやヨーロッパの列強が言うのはおかしいのでは、という指摘です。日本の戦争を振り返るにあたっては、このような視点も重要になってくると考えます。


私が本書を読んで一番感銘を受けたのは、当のアメリカ人が、戦後間もない時期にこの指摘を行い、そしてその本が出版されている(邦訳は禁じられたにしても)ということです。アメリカの力の源泉のひとつは、このような言論の自由にあるのかもしれない、とふと思った次第です。

参考:日本と太平洋戦争に関するこれまでのエントリ


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