ナショナリズムについて考えようとしたときに、この本がいろんなところで引き合いに出されていたので読んでみました。ただ、あまりにたくさんの情報が詰め込まれていて私の頭にはオーバーフロー気味だったので、ものすごく乱暴に単純化した上でメモします(以下、点線内は引用または要約です)。
ナショナリズムの成り立ち
国民は一つの共同体として想像される。・・・この同胞愛の故に、過去2世紀にわたり、数千、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろ自らすすんで死んでいったのである。
人間が「自分が○○という国の一員」と自覚するようになって、そのために命を犠牲にするようになったのはたかだかこの2世紀の話に過ぎないということですね。ではなぜそのような事態になったのでしょう?
国民を想像するという可能性は、次の3点が機能しなくなったときに生じた。1.特定の聖典(印刷ではなく手写本の)が真理だった 2.社会が神的摂理によって支配する王によって成り立っているという考え方 3.世界と人の起源は同一であるとの概念
それが出発点ということはなんとなくわかりました。ではなぜ「想像の共同体」が広がっていったのでしょう?
資本主義と印刷技術の発達がそれを可能にした。
なるほど、共通の意識を持つには、それを広範囲に伝達できる手段が必要だったということですね。では、日本についてはどうだったんでしょう?
明治人は半ば偶然の三つの要因によって助けられた。その第一は・・・比較的高い民族文化的同質性である。・・・第二に、天皇家の万邦無比の古さ、そしてそれが疑う余地なく日本的なものであること(ブルボン家、ハプスブルク家と対比せよ[よしてる注:例えばブルボン家はフランスとスペインの王朝だった])・・・そして第三に、夷人が突然、一挙に脅威的に侵入してきたため、・・・国防計画を容易に結集することができた・・・
たまたま日本のもっていた特色と開国のタイミングが、「想像の共同体」を作る上で有利だった、ということですね。
公定ナショナリズム
公定ナショナリズムって何ですか?
例えば帝政ロシアのように、広大な多言語領土において、帰化と王朝権力の維持とを組み合わせる方策。これは、1820年代以来、ヨーロッパで増殖してきた民衆的国民運動の後に、それへの応戦として、発展した。
公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略なのだ。
民衆から起こってきたナショナリズムではなくて、国家のほうが、国を治める手段のひとつとして作り上げたナショナリズムってことですね。個人的に、ナショナリズムというと民衆運動を連想しがちですが、たしかにそうじゃないナショナリズムもありますね。日本のもそうじゃないかという気がしますが。
公定ナショナリズムは、[19世紀半ば頃からヨーロッパで発展した後]非ヨーロッパの文化と歴史に入り込んで屈折し、直接支配を免れた(日本、シャムその他の)ごく一部の地域で、土着の支配集団によって採用され模倣された。
やっぱりそういう見方もあるんですね。