読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

山本譲司「累犯障害者」その1

累犯障害者 (新潮文庫)

一言で言えば、身近に自分のまったく知らない世界があったことを思い知らせてくれた本でした。というか、自分が身近な問題をきちんと見つめようとしていなかったということを気づかせてくれたと言うべきでしょうか。


この本は、障害者による犯罪についての真摯なレポートです。最初に出てくるのは知的障害者について。法務省発行の「矯正統計年報」によると、2004年の新受刑者総数は32090人ですが、そのうち約22%の7172名は知能指数が69以下の人なのだそうです。もちろんこの割合は、日本社会一般における割合よりかなり高いものになっています。

著者によれば、これは知的障害者が犯罪を起こしやすいと言っているデータではありません。知的障害と犯罪動因との医学的因果関係は一切ないそうです。ただし、彼らは善悪の判断が定かでないため、たまたま軽微な罪を犯した場合も、取り調べや法廷で自分の身を守る言葉を口にできない。反省の言葉を言うこともできない。そのため、司法の場での心証を悪くし、軽微な罪でも実刑判決を受けやすくなるのです。そしていったん刑務所に入ると、福祉から遠ざかってしまい、あとは刑務所を出たり入ったりの人生が続いてしまいがちとのこと。

この本では、この悪循環から生まれた実例を紹介しています。最初に取り上げられているのは下関駅を全焼させた放火事件。被告人は知的障害者で、成人してからの54年のうち50年間を刑務所で過ごしています。上記の悪循環の典型的なパターンです。この被告人に著者は問います。

「刑務所に戻るんだったら、火をつけるんじゃなくて、食い逃げとか泥棒とか、ほかにもあるでしょう」
「だめだめ、食い逃げとか泥棒とか、そんな悪いことできん」
「じゃー、放火は悪いことじゃないんですか」
「悪いこと。でも、火をつけると、刑務所に戻れるけん。外では楽しいこと、なーんもなかった。外には一人も知り合いがおらんけど、刑務所はいっぱい友達ができるけん嬉しか。」

この被告に関しては、社会に居場所がありさえすれば、放火をすることはなかったのでは、と著者は述べています。

さらに悲惨な事件としては、レッサーパンダ帽の男による女子短大生刺殺事件があります。この事件の被告人も、知的障害者でした。この事件の背景には、父親(知的障害者であることが事件後に判明します)による散財と暴力、父への恐怖から失踪しがちな被告人、母亡き後父と兄を支えるために高校進学を断念し懸命に働きながらも21歳で末期癌になってしまった妹という家庭環境があります。この家族を支える手を誰かが差し伸べることはなかったのか・・・そう思わずにはいられません(妹に対しては、人生の最後に障害者支援グループがもてる力をすべて注ぎ込んで「彼女の望み」をかなえるのですが・・・)。しかし、たとえ環境がどうあれ、被告人は殺人を犯したわけですから、その罪は許されるべきではないと著者は述べています。私もそう思います。ちなみに、犯行動機は、よくわからないままです。


この障害者たちを食い物にする人たちもいます。暴力団が、知的障害者を集め養子とし、障害者に交付される手当を巻き上げるのです。実は身よりのない知的障害者は、精神病院の閉鎖病棟に収容されることが多いらしいのです。本来は治療ではなく福祉を必要としている人たちなのですが、他に「行き場」がないのかもしれません。そしてこうした人たちを「厄介払い」したい病院側と、「カモ」がほしい暴力団とが結託していたのであろうか、と著者は問いを投げかけています。

他にも、知的障害者を売春婦にし、覚醒剤まで打つケースも登場します。こういったケースでやりきれないのは、彼女たちが売春の経験を嬉々として語ることです。「きっと、人生の中で一番ちやほやされていたのが売春の現場(だったのでは)」と著者は書いていますが、そうなのかもしれません。利用されていることがわからない。喜んでサービスする。これでは彼女たちは、利用したい側にとっては「カモ」以上です。

その他に驚くべきは、ろうあ者ばかりで構成された暴力団があり、ろうあ者相手に恐喝を繰り返すケースがあったということ。このろうあ者をとりまく世界については、次回に書きたいと思います。