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フィリップ・ゴーレイヴィッチ「ジェノサイドの丘−ルワンダ虐殺の隠された真実」(下)

ジェノサイドの丘〈下〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

ルワンダでの虐殺を描いた上巻に続き、虐殺後のルワンダを綴った下巻。虐殺に荷担した人々が逃亡先の国外からルワンダ国内に戻ってきて、生き残った人々とまた隣り合わせで(つまり、自分の家族を殺した人間がすぐ近くに住んでいる)暮らしているという状況について書かれています。

なぜ同一国民がこのような殺し合いを行ったのか?はっきりとした答えは出てきませんが、著者はひとつの疑念を提示しています。

虐殺実行者とおぼしき人々を収容した刑務所を見学したとき、著者はその人々が異様に従順であることを目の当たりにします。裸同然で収容されていても暴動を起こさないし、警備が極めていい加減なのに誰も脱獄しようとしない。実際、囚人同士の喧嘩もまれとのこと。ここで、著者は「これこそがジェノサイド(大虐殺)を説明するときにしばしば持ち出される権威への盲目的服従という集団心理なのだろうか」と述べています。

そして、虐殺後、新政府が、今まで殺し合っていた民族同士の「共生」をテーマにかかげると、それもあっという間に広がっていったとのこと。ここにも著者は「かつての命令−服従の構造」を見ます。

もちろん、そんな単純な理由だけで虐殺を説明することはできないとは思います。でも、ここを読んで思い出したのが、日経新聞99年1月21日付けでシンガポールのリー・クアンユー元首相が書いていた次のエピソードです。

日本人にはいつも驚かされる。戦前、シンガポールの日本歯科医院や商店で得た印象から、私は日本人は礼儀正しく親切だと思っていた。だが、(第2次世界大戦が始まって、シンガポールを占領した)日本兵は信じられないほど残酷で、私たちは恐怖の3年半を過ごした。この記憶を消し去ることは難しい。ところが、降伏後、日本兵は模範的捕虜となり、良心的で懸命に働き、シンガポールの街をきれいに掃除して去っていった。

そして、もうひとつ連想したのが永井豪「デビルマン」の終盤。あの世界が現実に起こってしまったのがルワンダなのかもしれない、そして日本もそうならないとは絶対には言い切れないのでは、と感じたのです。


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