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庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

小熊英二「<民主>と<愛国>」第三部(1960年代以降)・結論

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

第ニ部からの続きです。



高度成長期

・高度成長の進行とともに、生活の安定をもたらしてくれる「日本」への信頼と安心が、無自覚的なナショナリズムというかたちで定着しつつあった。NHK放送世論調査所の調査「日本人と西洋人の優劣」に対し、「日本人が優れている」「劣っている」とした回答は1951年28%と47%、1963年には逆転し33%と14%、68年「優れている」が47%に。

・戦争体験の風化も進んでいった。戦争の記録は、戦争を美化する「戦記もの」と戦争の悲劇を伝えようとする「戦争体験もの」であったが、両者とも戦争を感傷的に語ることと屈辱と悔恨の傷に触れることが少ない点では共通していた。

高度成長期のこういった感覚は、なんとなくですが私も体感している気がします。私は高度成長が終わったといわれる年の生まれですが、子供のころ読んだ本は高度成長末期に書かれたものが多かったのです。そこに描かれていたのは、「新幹線は世界一」「日本の造船技術は世界一」「日本のカメラは・・・」など、高度成長期に産み出された日本の「世界一」をことさらにアピールするようなものでした。今の子供向けの本がどうなっているのか詳しく知らないのでなんとも言えませんが、少なくとも上記の引用部分にあるような「日本への信頼と安心」の創出が、そういった子供向けの本にも現れていた気がします。



60年代末の学生運動

・若者たちは、「直感」によって「平和と民主主義」の欺瞞を指摘した。しかし彼らの多くは、1955年以前には多様な憲法観や「平和」観が存在したことを知らなかった。

・全共闘運動は、マルクス主義の言葉によって行なわれていたが、その背景にあったのは学生のマス化と旧来型の大学組織のミスマッチであり、「エリート的意識と存在の決定的欠落」だった。こうした学生たちが嫌った言葉が「民主主義」「平和」「近代市民社会」などだった。しかし全共闘運動は、60年安保闘争のような広範な支持を得ることはできなかった。一般的に年長者たちにとって、運動は理解しがたいものと映った。同世代の中でも、全共闘運動はもっぱら大学に限られた現象だった。

・1950年代の運動と1960年代後半の運動との決定的な違いは、後者が日本をすでに管理社会化した先進帝国主義国家とみなしていた点である。そこでは、丸山真男が説いた政治参加などは、管理社会のエリートとして取り込まれていくことへの呼びかけとしか映らなくなりつつあった。

この時期の学生運動には、以前から疑問点がいっぱいでした。なぜこの時期に?なぜ大学を占拠したりしたのか?そのエネルギーはどこから?

それらを分析することがこの本の目的ではないので、比較的あっさりした記述に留まっていますが、それでも上記の指摘は私にとっては新鮮でした。そうか、大学が「普通の存在」になっていき、学生がエリートでなくなっていく中での不満があの運動のエネルギーの一部を占めていたわけですね。


この後は、吉本隆明、江藤淳、鶴見俊輔、小田実の生き方と思想を中心に当時の思想を分析しています。この本を通じて言えることですが、こういった思想家の残した書物などを徹底的に読み込みながら、それぞれの人物や思想に違和感を感じてもそのことをあげつらったり糾弾したりすることなく、また敬意を感じる思想家に対してもいたずらに絶賛することなく、あくまで本の目的である「戦後思想におけるナショナリズムと公共性」についての探求を進めていく小熊さんの姿勢には感服しました。

次は、この本で述べられている結論について。読みたくない方のために、20行空けてから書きますね。




















結論

<戦後思想とは>

・戦後思想とは、戦争体験の思想化であった。多くの戦後知識人は、自己の体験を直接語る代わりに、多くの思想を創りだしていった。知識人たちの思想も、戦争という悪夢を共有した「共同意識」を通じ、一般民衆の心情とつながっていた。

・しかし、これは戦後思想の弱点ともなった。まず戦後思想は、国民共同体意識に依拠していたがゆえに、沖縄や朝鮮などが視野から抜け落ちがちだった。そして最大の弱点は、言葉では語れない戦争体験を基盤としていたがために、戦争体験をもたない世代に共有されうる言葉を創れなかったことにある。

・こうして、1960年代には、ふたつの事態が進行した。一方では、江藤淳がいう「三百万の死者」といった、抽象化され無毒化された戦死者のイメージが形成され、それが保守ナショナリズムのシンボルとして回収されていった。もう一方では、全共闘の一部学生たちが侵略戦争の加害責任を軽視する「戦後民主主義」の「欺瞞」を批判した。こうしたなかで、戦後思想の特徴だった「民主」と「愛国」の共存状態は崩壊した。

・近年われわれが目にする「戦後」批判は、この1960年代に発明された「戦後」観を前提としたものである。こうした誤った認識をもとに議論を行なっても、実りがあるのかは疑問といえる。

・「戦後」批判は、戦後生まれの世代によってのみ行なわれたわけではなく、戦争経験者によってもなされている。しかし、そこで踏まえなければならないのは、戦争体験が実は世代や階層によって相当に異なっていたことである。年少の世代ほど、自分は戦争の被害者だという意識をもっていた。とはいえそれに該当する吉本や江藤の「戦後」観は、およそ戦争全般への理解を欠いた、片寄ったものであった。彼らは年長世代が抱えていた悔恨や屈辱の痛みを理解できなかった。彼ら「戦中派」の知識人たちが、自分を「大衆」の側において「進歩的知識人」を批判するという論法によって、自分の個人的・世代的な違和感を一方的に普遍化したことは、1960年代以降に発明された「戦後」観の歪みを拡大することになった。

今、いろんなところで耳にする「戦後」が、具体的に何を意味しているのか。そこに事実誤認があったりすれ違いがあった場合、「戦後」についての有効な議論が進められるはずがないのではないか。小熊さんがこの本で行っている問題提起の根本はそこにあるようです。

この後は、1990年代以降のナショナリズムの方向性や「護憲」に関する小熊さんの私見が述べられており、それはそれで興味深いのですが、このブログでの政治論争は避けたいなあと思っているので、引用とコメントは控えておきます。

<今後のナショナリズムについての展望>

・原則的には、ナショナリズムを一様に全否定することはさほど意味をもたないと考える。「ナショナリズム」を筆者なりに定義すれば、心情の表現手段として、「民族」や「国家」が採用された状況、ということができる。その場合の心情は極めて多様であるため、そうした個々の文脈を無視して一括して「ナショナリズム」として否定もしくは肯定を行なってもどれほどの意味があるのか疑問である。

・戦後思想の「ナショナリズム」に読み直しを施すにあたり、参考になるのが近年の在日コリアンや沖縄の「ナショナリズム」である。特に在日コリアンのそれは、政府や領土、国籍や言語などに回収され得ない、ある種の共同性の希求に「民族主義」という名称がついている状態である。

・新しい時代にむけた言葉を生み出すことは、戦後思想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行なっていくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。

この結論は、戦後ナショナリズムに限らずどんな課題・主題を検討する場合にでもきわめて重要なメッセージとなっていると思います。自分が使おうとしている言葉は、実は「名前のないもの」ではないか?それに安易に過去の言葉による「代替」を行っていないか?
真摯に議論をたたかわせているつもりが、使っている言葉の意味するところが違っていた。実際はまだ「名前のないもの」なのに、別の意味をもつ言葉を適当にあてはめていた。そういったことが、言葉と思想のプロの間でも普通に起こっていたということは、胸にとめておいていいことだと思います。


この本は、そういった指摘だけで終わる本ではありません。戦後思想の変遷史として読めるのはもちろんのこと、思想家それぞれの生き様を浮かび上がらせる「戦後思想家伝」としても読めます。要するに本として読んでいて面白い。注を含めて約1,000ページ、読むのはそれなりに時間がかかりましたが、それは幸せな時間でもありました。

その中で、この本が最終的に浮かび上がらせたものは何かと問われれば、個人的には「戦争というものがどれだけ人の心に刻み付いて離れないものか」ということだと応えます。引用にもあるように、戦後思想とは戦争体験の思想化であったわけですが、その事実の陰にある壮絶さを1,000ページを通じて「体感」した次第です。