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庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

小熊英二「市民と武装」

市民と武装  ―アメリカ合衆国における戦争と銃規制

小熊英二さんがアメリカ研究をやっていた頃の論文2つを収録。アメリカ研究とはいえ、後の日本近現代史研究につながるようなテーマも垣間見えて興味深かったです。自分の頭を整理するために、ポイントをメモしておきます(枠内はよしてるによる要約です。)。

<市民と武装>

・建国当時のアメリカでの「武装した市民」には、二つの見方があった。ひとつは、「自立した市民」、もうひとつは「野蛮への復帰」(それまでの戦争のルールを破壊した。それまでの傭兵中心の戦争は、互いの被害を抑える儀式のような側面があった)。

・市民が武装を強化することで政府と対抗することは、思想的可能性としてはあり得るかもしれない。しかし、技術文明論で知られるL・マンフォードは、それは機関銃と毒ガス出現以前の話だとしている。

・一人の武装で多くの人間を殺せる技術が現れた時点で、市民に(武装に関する)無限の自由を認めることは悪夢でしかない。しかし、「そこに含まれた精神」の検討は、アメリカ社会を理解するうえでも、また日本社会を見直す上でも有効な視点を提示してくれる。

・独立戦争では、アメリカ軍には黒人は兵として認められず、イギリス軍はその逆だった。均質な市民の共同体に依拠する自由民主主義よりも、身分制で雑多な人間をまとめていた王政のほうが多様性に寛容であるという皮肉な事態が出現。

・南北戦争においても、南軍は司令官任命についても選挙制を守り通した。その結果、より非民主的で権威的な北軍の、鉄の規律と効率的な組織の前に破れた。

この稿では、主に2つの視点があると思います。ひとつは、アメリカにおける「市民の武装」がどのような背景をもって今に至っているのか、そして現代社会でそれが有効なものなのかどうか。もうひとつは、「民主主義」「人種差別」と軍隊との関係です。小熊さんは例によって明確な結論を出していませんが、前者において「市民の武装」という言葉が、「言葉は同じだが意味するところが時代によって変わってきている」というところは後の著作「<民主>と<愛国>」に、後者の「境界線上の人々が包摂されたり排除されたりする現象」については「<日本人>の境界」につながっているように思えて興味深いです。これが小熊さんの根底に流れる2大テーマなのかなあ。


<普遍という名のナショナリズム>

・第一次大戦期のアメリカには、「アメリカナイゼーション運動」と呼ばれる移民に対する同化促進政策があった。現代アメリカ史では、移民排斥運動や人種差別の延長だと非難されることが多い。しかし、同化主義は本来、共通普遍の一つの文化の元での平等を意味しており、排斥や差別とはむしろ対立する側面を持っていた。差別や分裂を政府のバックアップによる運動で解決しようとした。

・アメリカにおける同化とは、言語や宗教での異文化性を消し去るという側面に加え、近代化や民主化という意味合いを含んでいた。

・一方、文化多元主義は、移民が独自の文化を保ったまま、社会に統合されていくという考えである。この立場からすると、アメリカナイゼーション運動は、アングロサクソン文化の強要にすぎないということになる。ただ、現状の差別の解決方法については、文化多元主義の主な提唱者であるカレンもボーンも、これといった構想は出していない。

・アメリカナイゼーション運動も文化多元主義も、多民族国家における民主主義と国家主義の対立を止揚しようとしていた点は同じ。

・第一次大戦時、外部の汚れからアメリカのイノセントを守ろうとする孤立主義が反戦に結びつき、アメリカの伝道が世界を救うとする国際主義が移民受け入れ・国際連盟加入・参戦に結びついていた。そして、移民受け入れを支えていた文化多元主義は、デューイやカレンによって参戦を支える論理へと変えられていった。

・上記のことから、ナショナリズムは人種差別や移民排斥と切断された形式でも成立しうる。そしてそのようなナショナリズムが戦争につながりうると言える。また、アメリカナイゼーション運動と文化多元主義は、相対立するように見えて実は連続性を有している。

本稿の結論にはなるほどとうならされました。これを読んで思い出したのが、シンガポールの「異人種同士を対立させない政策」。この同化政策における政府のバックアップと文化多元主義がミックスされた好例のように思えます。が、アメリカみたいな広大な国でシンガポールみたいなやり方は無理でしょうね。まあ、この場合、シンプルな解決策というのは存在しなさそうなので、機能する解決策というのは、最終的には忍耐強い試行錯誤からしか生まれてこないのかもしれませんね。要は、私には「どうすればよいか」はわかりません。