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「リー・クアンユー回顧録」-シンガポールにおける優秀な人材の育成・確保策とは

先日の、シンガポールの「異人種同士を対立させない政策」についてのメモの続きです。今回は、この国の奇跡的な経済発展の立役者、リー・クアンユー元首相の回顧録から、彼が行った「過激」とも言える優秀な人材の育成・確保策についてメモします。


リー・クアンユーの「爆弾発言」

まずは、彼の学歴重視・優生学的見地について、回顧録の人材育成に関する章の冒頭より。

1983年8月14日の夜、私はナショナル・デー大会の演説で爆弾発言を行った。国内最大の視聴率を誇る二つのテレビ局が実況中継する中で、大卒男性が自分と同じ優秀な子供が欲しいなら教育レベルの低い女性を妻に選ぶのは愚かなことだと言ったのである。予想したとおり、演説の結果はハチの巣をつつく騒ぎとなった。記者はこれを「大結婚論争」と命名した。妻は、中等教育終了試験(GCE)Oレベル(中卒程度)の女性のほうが大卒女性よりも数が多いのにと私を戒めた。翌年の総選挙ではこの演説がもとで人民行動党(PAP)(引用者注:リー氏の率いる与党)の得票率が12パーセントも減少した。なぜ私はこのようなことを言ったのか?
(中略)
「大結婚論争」スピーチを私に決心させたのは机の上に置かれた80年の国勢調査の分析レポートである。内容は深刻だった。それは我が国の優秀な女性たちが結婚せず、次世代に自分の子孫を残さないことを示していた。男性が自分と同程度の教育を受けた女性と結婚したがらないのが原因だった。我が国の大卒者の半数は女性で、そのおよそ3分の2が未婚だった。中国人、インド人、マレー人の別なくアジア人の男性は自分より教育レベルの低い妻を好み、83年当時、大卒の女性と結婚した大卒男性はわずか38パーセントだった。
(中略)
一卵性双生児が多くの点で共通性があることを示した80年代の米ミネソタでの研究を引用した。双子は別々に異なった国で育てられても、彼らの語彙、知能指数(IQ)、習慣、食べ物や友人の嗜好、人格、個性の特色の8割が同じだった。言い換えれば、人格形成のおよそ80パーセントは天性のもので、20パーセントは養育の結果ということである。

いきなりこれです。要は、リー元首相は、高学歴の人間が減るのは国の存亡にかかわる、と考えているのです。そして、優秀さ(この場合、高学歴を獲得する力)は遺伝すると。

この考えが正しいのかどうか、私にはわかりません。しかし少なくとも、政治家が発言するには相当な勇気が必要な内容であることはたしかだと思います。実際、リー首相の政党は支持率を下げたのですから(発言内容に比べると、わずかといっていい数字に思えますが)。

それでもこの発言をし、その後国主催の社交クラブを作り、大卒同士が結婚する率を本当に上げてしまった(82年:38% → 97年:63%)。これはすごい信念・行動力だと思います。


「民族の成績差」

そして彼は、民族の成績差という、これまた非常に微妙というかタブーになっている問題にも切り込みます。

もうひとつ私を悩ませた民族絡みのデリケートな問題があった。常に数学と化学で低い成績をとる生徒の割合が、マレー系の場合に特別高かったことだ。試験の結果に表れたこの差を、もはや秘密にしてはおけないと私は意を決した。民族が何であれ、すべての子供が公平であると国民に信じさせ、各民族に同じ割合の大学入学機会を与えることは、国民に不満を植えつける結果となる。大学に落ちた生徒が政府の不公平さのせいだと考えるからだ。1980年に私はマレー系共同体のリーダーに、オープンにかつ細心の注意を払ってマレー系生徒の成績問題に取り組みたいと打ち明けた。過去15年の試験結果を見せ、マスコミにも公表して、同じ差が戦前の植民地時代にも見られていたことも強調した。これはいまに始まった問題ではなかったのだ。

この問題も、普通に考えると、リー元首相の政治生命を左右しかねないように思えるのですが*1、事態は意外にも冷静に推移します。マレー系の国会議員、マレー及びイスラーム団体の役員、ジャーナリスト、教員、宗教教師、弁護士、企業家などが一同に会して発足した「ムスリム児童教育評議会(MENDAKI)」が、「マレー問題はマレーの文化的・人種的欠陥にあった」とする報告書を公表したのです。ある人種のリーダー層自らが「人種的欠陥」を認めるなんて・・・そしてその後どうなったか。

メンダキ誕生から数年後、共同体リーダーの努力と長時間の補習が実を結び、マレー系生徒の試験合格率は着実に上がった。算数の成績の上昇はめざましかった。マレー系生徒の中学、高専、大学への進学率は上昇し、第三回国際数学科学大会でシンガポールのマレー系生徒の成績は世界平均を上回った。メンダキは社会を変えたのだ。

結局、リー元首相の発言がきっかけになった政策が、実際に「成績」を変えてしまったのです。


優生学?

リー元首相のこういった優生学的見地とその政策は、ヒトラーのそれとどう違うのでしょうか(例:「生命の泉」計画)。根っこには似た面もあるのかもしれません。少なくとも両リーダーは、民主的な選挙で政権をとっている点は同じです。でも、シンガポールの場合、侵略や暴力を用いず、あくまで最終的には当事者の自主性に委ねられている政策であるという点がナチスとはっきり異なっているように思います。あと、この「回顧録」を読むと、リー元首相がどれだけシンガポールの発展のことを誠実かつ合理的に考え行動してきたかが伝わってきて、そこはヒトラーのパーソナリティとの大きな違いだと感じました。

繰り返しますが、私個人はこういう学歴超重視・優生学的見地に賛成するものではありません。でも、このような見地をもったリーダーが現代でもいて、そのための政策が暴力もなしに一応「成功」している点に興味を持ってメモを取った次第です。

これらの政策が何かのひずみを産み出していないのかという点については、まだ十分に調べられていません。見つかったらまたメモをとりたいと思います。


関連メモ

(2016年4月25日追記)「氏か育ちか」問題については、次のメモもご参考ください。

*1:リー・クアンユー氏自身は、中国系(客家)です。


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