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庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

小熊英二「対話の回路」後半

対話の回路―小熊英二対談集


前半の感想はこちらを参照下さい→小熊英二「対話の回路」前半

赤坂憲雄

柳田國男の仕事について語るシーンがほとんどでした。印象に残ったのは、柳田はもともと貧しい生まれだし、弱い立場の人への視点は持っていたけれど、一方で苦労人の官僚だから、危ない橋を渡らない処世術も持っていた、という点。例:天皇をシャーマンとしてとらえる眼を持っていたにもかかわらず、それを語ることを控えた(政治的に自覚していた)、等。

あと、資料の積み重ねで読者に問いかけ、自らの主観的な評価は明示しないタイプの小熊氏が珍しく好き嫌いをはっきり示していた岡倉天心への評価が興味深い。

小熊:私がアジア観についていちばんひどいと思った近代日本の知識人は、岡倉天心です。・・・彼は自分の都合で「アジア」の境界をどんどん変えてしまう。・・・たった二年前に「アジアは一つ」と言って西洋との戦いを訴えた人が、日露戦争になったらこういう(下記参照)主張を始めるわけです。ご都合主義もはなはだしいアジア観ですね。

  • 岡倉の思想:
    • 1902年「東洋の理想」中東もギリシャもモンゴルも含んで「アジア」
    • 1904年「日本の覚醒」イスラム勢力とモンゴルはアジアではなくアジアの侵略者。そのモンゴルを撃退したのは日本とヨーロッパ。そして今のモンゴルとはロシアである。

上野千鶴子

上野氏による小熊氏の「<民主>と<愛国>」の評論、という感じ。

小熊:語られなかったものを描くわけですから、語られたことを描き尽くして、その空白部分として浮かび上がらせるしかなかったんですね。
上野:それが成功していると思われます。・・・悔恨の体験が語られなかったという重みを通して、戦時下の統制と弾圧のきびしさを浮かび上がらせる結果になっています。・・・戦争体験者にむかって、現に抵抗した人はいたのにおまえはどうだったのかと問うことがどれくらい現実からかけはなれたことか・・・

確かにそういう「あぶりだし」を行おうと思えば、あんな分厚い本(約1000ページ)にもなろうというものですね。

小熊:「戦後民主主義はナショナリズムだった。植民地の問題を忘却していた」とかいうかたちで批判することは可能ですが、それだけだと下手をすれば「戦後民主主義」を他者化して自己を安全な位置におく、あるいは「ナショナリストでない自分」を立ち上げているということにつながりかねない。よい悪い以前に、それは気持ちが悪いから、やりたくなかった。最初から述べているように、私は研究する場合には、自分が当事者だったらどうだろうと考え、そう考えることによって自分が変わっていくものでなくてはいけないという気持ちが強いんです。

このあたりの誠実さがあの著作のつくりにつながっていくんだろうな、と納得。


姜尚中

姜氏が小熊氏にインタビューするような形式。小熊氏、質問に対し、相変わらずわかりやすく具体的に応えてます。姜氏も、これを機会にいろいろ聞いてみようって感じで、先輩ながらその辺いい意味で無節操。


今沢裕

小熊氏の仕事の仕方について語られている点が貴重です。

今沢:言いたかったことを本なら本というかたちで言葉にする原動力は何ですか。
小熊:・・・音楽なんかを聴いて自分が変わってしまった場合には、「あんたもこれ聴いてよ、それからでないと話ができないよ」とかいってこちらの体験を共有させてしまうわけですけど、まさか昔の資料の場合には、「あんたもこれ全部読んでよ」というわけにはいきませんから(笑)。だからわかってもらうためには、説明に五分やそこら時間をもらうだけではなかなか苦しくて、最低3時間くらい独演会をさせてもらうか、一番いいのは一冊本を書いてしまうこと。

これ、私がサイトやブログを書く原動力とほぼ同じ。アウトプットは全然違うが。インプットからして全然違うから当然か。

小熊:「結果が出せないと失望する」というタイプの人だと、コミュニケーションをとりたいという欲求だけが先走っているんだと思いますね。かたちにして提示して、見てもらいたいとか、有名になりたいとか、そういう欲求が絡んで、とにかく世の中に出していくという部分の方が全面に出てしまって、やっていること自体を楽しめなくなってきてしまうというケースというのが、ありますよね。
そこは難しいですよね。あるかたちにして提示しなければ人が聴けるものにはならないわけですし、かといってそれで自分がつまらないと、おもしろくないだろうし。でも人が喜んでくれれば自分もおもしろくなるかもしれないし、だけど自分でおもしろいだけだときっと人に迷惑だろうし。

仕事って、自分も相手もおもしろいと思えたとき、多分一番いいものを産み出すんでしょうね。私個人の実体験からしてもそうかも、と思います。

また、インディーズでCDも出してるミュージシャンとしての小熊氏らしい下記のコメントにも深くうなずきました。

小熊:たとえば六〇年代とか七〇年代のロック・ミュージックとかは、真似したくなるわけですよね。だけど私は、それは型の良さじゃないと思う。とくに70年前後の音楽なんてそうだと思うけど、型が出来た瞬間の喜びとか興奮が録音に保存されていると思うんです。あれと全く同じことを型だけまねていまやったとしても、「オレはいま世界で一番新しいものをやっているんだ」という意識は持てないと思うんですよ。でも六十九年とか七〇年にあの型をやっていた人たちというのは、彼ら自身に「これが世界でいちばん新しくていちばんすごい」という興奮があって、それが今聴いても人を感動させるんだと思う。

そういえば小熊氏のバンドって「カム・トゥゲザー」をカヴァーしてたな。