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庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

イースター島に木がないことの意味-ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」

本・まんが 社会と課題


ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」は過去5年、いや10年の間に読んだ中で個人的に一番興奮した本。その同じ著者が似た路線で新刊を出していることをふと知りました。その名も"Collapse: How Societies Choose To Fail Or Succeed"。歴史上、環境破壊が原因で滅んでいった社会を検証しているようです。邦訳はまだなのですが(12月24日追記:「文明崩壊」というタイトルで草思社から発売されましたが買うのを迷ってます)、ええい、と原書を手に取ってみました。

今回も(原書は)500ページ以上の大著なので、私の英語力では全部読むのに1年はかかりそう。ということで、序章でこの本の性格をつかんだ後は、面白そうな章から読み進めることにしました。で、最初に選んだのが「イースター島の黄昏」。

英語であることを忘れるくらいに没入できる内容でした。イースター島には木が一本もない(最近植林されたものを除く。)らしいのですが、これがどれほどの悲劇のきっかけになったのかをこの章で思い知らされたのです。


なぜ木がなくなったのか

もともとイースター島には、他のポリネシアの島と同様に木が生い茂っていました。そこに、紀元900年ごろ他のポリネシアの島から植民にやってきた人たちが住み、島は栄えていくわけですが、人口が増え、島内の交流が盛んになった結果起こったのが部族間の抗争。互いの示威行動のためにモアイを大量に作り、その運搬や引き起こしに必要な木がどんどん切られていったのです。

その結果、1400年〜1600年頃には島には木が一本もなくなってしまい、その影響で他の植物、動物も育たなくなります。結果、食べるものが減り、衰退の道をたどり始めます。

その頃、信仰されている宗教も変わり、人々は今度はモアイを引き倒し始めます。著者は、これを「スターリンやチャウシェスクの像を引き倒す人々の心理に似たものかもしれない」と書いていますが、それはともかく、これはまさに「イースター島の黄昏」を象徴する光景だったことでしょう。1774年にキャプテン・クックがこの島に来た頃はまだ立っているモアイもあったようですが、1868年にはもうすべてのモアイが引き倒されていたようです*1

しかし悲劇はそれだけでは収まらず、食料減から人口はどんどん減っていき、ついには人肉まで食べるようになってしまいます(発掘調査によれば、この頃から墓だけではなくごみ捨て場からも人骨が見つかる。)。その後はヨーロッパ人の来航による伝染病の流行や奴隷として島民を連れ去さられてしまうことなどで、最盛期には数千人〜30,000人いたと言われる人口が1872年には111人にまで減ってしまいます(現在は2000人程度ですが、ほとんどが混血だそうです)。


なぜイースター島だけなのか

ポリネシアの島々の中でなぜイースター島だけがこうなってしまったのか?それは、森が消滅してしまいやすい、つまり木が育ちにくい条件がたまたまことごとく当てはまっていたことにあるらしいです。乾燥しており気温が比較的低めであり(木が育つのが遅くなる)、火山活動が活発でない(土が肥沃にならない)、高い山がない(雲が出来にくいので雨も降りにくい)、島が小さい(環境変化の影響が出やすい)、そして他の島と非常に離れており、人間がその場から動かなかったこと。

この最後の理由を、著者は現代社会になぞらえています。もちろん、現代社会はイースター島と違い、人や物、情報はかつてないほど激しく世界中を流れています。しかし、視点を変えると、宇宙における地球は、絶海の孤島と同じで他のどこへも行けない運命共同体になってしまったとも言えます。もちろん、これが強引な例えであることは著者も認めていますが、だから今、イースター島のようにならないためにやらなければならないこともあるのだと訴えています。

その提案が終章に書かれているらしいので楽しみなのですが、どうもこの本は他にも興味深すぎる章がたくさんあるようです。少なくとも、マヤ文明の崩壊や、同じ島なのに政治のために環境に大きな差が出たハイチとドミニカ、現代の中国・オーストラリアの問題、そして環境保護の成功例としての徳川幕府の森林保護政策などについて読んでから、終章を読んでみたいと思っています。いつのことになるかわかりませんが・・・ああ英文がもっと早く読めたなら、とこれほど痛切に思ったことはないかもです。


関連メモ

*1:ということは現在立っているモアイはその後引き起こされたものってこと?と思って調べていたら、モアイ復活の一部に日本のクレーンメーカー、タダノが携わっていたことを知りました。だからさすがに現地でもタダノは有名で、感謝されているようですね。