庭を歩いてメモをとる

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ドイツ語をしゃべる笠智衆

2月18日の日記へのみんさんのトラックバックにさらにトラックバック。コメントでもいいんですが長くなりそうなので。

例えば、「ヒューマ・ホシ、オマエハ 野球人形ダ!」と日本語バリバリのオズマ選手(米カージナルス-->中日ドラゴンズ)ですが、微妙に名前だけ英語風(笑)。他にも昔のマンガに登場する外国人は、それまでベラベラ日本語でしゃべっといて、突然「オフコース(もちろん)」などとという吹き出しを登場させるぐらいに微妙に英語風なシーンはしょっちゅう登場し、あたりまえのよう受け止められていたかと。

ああ、たしかにそうですよね。まんがにはけっこうこういうの多いかも。

で、思ったのが、この「しゃべるはずのない言語を話す意外性」って、その作品のリアルさと比例しているのかもってことです。同じまんがでも、例えば「島耕作」シリーズだと、島耕作が中国にいるとき、中国人との込み入った会話は通訳を通したり、中国語を話しかけてきた外国人に「中国語はまだ苦手なので英語で話しましょう」と勧めるシーンがあったりします。これが全部省略されて島耕作が何人相手でも普通に会話していたらやっぱり違和感があると思うんです。ああいう「一応リアル*1」って感じのまんがの場合は。

その点「アマデウス」の場合は、劇場はモーツァルトの時代に一番近いプラハのものを撮影し、劇場内でもちゃんとろうそくをともし、衣装なども当時をしのばせるあの凝りよう。そんなふうに「リアルにいいものを」とがんばっているのに言葉は英語??という違和感があるんですよね。まあどうせ字幕を読んでるんだし観ているうちに慣れるんですけど。


そうそう、映画アマデウスの中ではオペラの歌詞も英語化されていて、その辺もちょっと楽しかったりします。でも原語のままの部分もあったような?今手元に映像がないので未確認ですが、どうだったかな。

手元のDVDを見返してみた結果、後半に出てくるモーツァルトオペラのドタバタパロディ(「ドン・ジョバンニ」や「フィガロ」、「後宮からの逃走」などが一緒くたになったやつ)は英語でした。でも他はドイツ語のようです。「後宮からの逃走」「フィガロ」「魔笛」もドイツ語でした。

そういえば、「後宮からの逃走」の場合、皇帝がドイツ語のオペラを創るようにとモーツァルトに依頼したシーンの後なので、ドイツ語でないとちょっと辻褄が合わなくなりますね。

そういえば、日本人が外国映画を日本語吹き替えで観る事には抵抗がないけれど、これって他の国の人が見ると意外とヘンな感じがするんじゃないかしら?!だって私たちだって、たとえば中国語吹替えの007を見たら、違和感ありまくりというか、笑っちゃいませんかね?

東京物語 [VHS]

村上春樹のエッセイで、外国で小津安二郎の「東京物語」か何かを観たらドイツ語吹き替え版で、 何やらセリフが哲学的に聞こえてきた(あいまいな記憶に基づいているのでちょっと違ったかもしれませんが)、なんてエピソードが書かれていた記憶があります。さもありなん。

*1:「島耕作」シリーズのストーリーそのものはいかにも「まんが」だってことは一応わかっているつもりです。


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